ラグビー・スクール

Rugbyは、ロンドンから北へ約130kmのイギリス中央部に位置し、人口9万人ほどの地方都市です。ロンドンのユーストン駅からはインターシティ(長距離特急列車)に乗って約1 時間で近代的なラグビー駅に到着します。

ラグビー地方の隠れた名所の1 つに、街の中心に程近いところを静かに流れているオックスフォード運河があります。

野生の動物たち、写真家、ウォーキング愛好家や運河利用者にとっては天国のような場所で、70km ほど先にあるオックスフォードの街まで専用の散歩道が続いています。

ラグビーの街はラグビー・フットボールの発祥の地であるというユニークな歴史を持っているだけでなく、最近は非常に有名な近代英国絵画のコレクションを所蔵する美術館やローマ時代の遺物を展示している博物館もあり、多くの人が訪れています。

ラグビー校は1567 年にこのラグビーの村にローレンス・シェリフにより男子校として創立されました。1975 年から女子学生が入学するようになり、現在では男女共学校です。19 世紀にラグビー校は新校長として、トマス・アーノルド(Thomas Arnold)を迎えました。1828 年から1842 年に46 歳で亡くなるまでの間、ラグビー校の校長を務めました。

アーノルド校長が目指したものは真のクリスチャン・ジェントルマンの育成です。第一に宗教的道徳的規準、第二に紳士的な振る舞い、第三に古典教育、特にギリシャ語、ラテン語の重視であり、またチームスポーツを通じた人間教育を実践し、指導者として社会活動に堪えることの出来る人物を次々と世に送り出しました。アーノルド校長は後にパブリック・スクール教育の改革者と言われ、この教育改革は、その後イートン・カレッジ、ハロウスクールを始めほとんど全てのパブリック・スクールで取り入れられるようになりました。

1823 年にラグビー校の校庭ビッグサイド(Bigside)で、フットボールの試合中に興奮したウィリアム・ウェブ・エリス少年がボールを腕に抱えて相手のゴールを目指して走り出しました。彼の何気ない行動が、後のラグビーという競技を生み出しました。

ラグビー校の校庭Bigside の脇に立つレンガ造りの長い壁the Doctor’s Wall にエリス少年の記念の碑文が埋め込まれています。また同じDoctor’s Wall には近代オリンピックの父といわれる若き日のクーベルタン伯爵の碑文もあります。

ラグビー校が英国を代表する作家や詩人の母校であることは案外知られていません。ビクトリア時代の詩人マシュー・アーノルド(アーノルド校長の息子)は自身の詩集のなかで最も有名な作品「ドーヴァー海岸」、ラグビー校の面影を残した「ラグビー礼拝堂」などを世に出しました。アーノルドと同時代にラグビー校に在学していたチャールズ・ドッジソンはルイス・キャロルのペンネームで「不思議の国のアリス」、「鏡の国のアリス」を出版しました。


そのほか第二次世界大戦時にヒトラーと対峙した元首相ネヴィル・チェンバレン、1879 年にフランス首相となったウィリアム・アンリ・ワディントン、俳優のアンソニー・クエイル、ロバート・ハーディ、画家ウィンドハム・ルイスなどの名前も挙げられます。


ラグビー校の優雅な文学の伝統は詩人ルパート・ブルックに象徴されます。「The Soldier」は祖国を離れ戦う兵士が切なく祖国を想う詩です。また「The Old Vicarage, Grantchester」はケンブリッジ大学に在学中に過ごした郊外にあるケム川沿いの美しい村グランチェスターの日々を想い、旅先のベルリンのカフェで書き上げた詩です。ブルックは若くして国民的な名声を得ましたが、戦地エーゲ海で27 才の若さでこの世を去りました。

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